日本の週末
どこに行くわけでもなく、真っすぐ家に帰る。財布的にはそれで良しだ。
10年近くも海外の盛り場で飲み続ければイタリアの赤い車も買えるくらいの額になる。我ながらよく飲んだなーとは思うけれど、特に後悔があるわけでもない。どうせ三途の川は六文で足りるのだ。ならば宵越しの金は持たぬに限る。
明日を心配すれば今日を抑えねばならず、今日を抑えるならば昨日も節制せねばならぬ。明日の明日は明後日で、明日を心配するならば明後日の事も気を揉む必要があるのだろう。
最近はこの話が気に入っている。
周辺の本を読めば長期備蓄保存可能な食料がどういう社会変化を及ぼすか分かるのだが、現代のこの我々の忙しさを表すにはよく出来ている。
いやちょっと待て。オレは忙しかったのか?昔は忙しかった気がする。昔から出社という勤め人の最初の一歩が苦手という呪いにかかっている為、あんまり外には出ない体質だったような。ま、外に出なくても忙しいは忙しい、うん、というわけで一行目は嘘ですテヘペロ。
遺産のどーたらこーたら
昨日9/27行ってきた。オレはあんまり関係ないのだけれどね。ただ妹が独りじゃイヤだって事で付いて行った。
先方の長男次男とご対面。
もうね、見た瞬間動揺したよね。あまりにオヤジそっくりで。容貌だけ見ればオレらの方が明らかに顔だけが取り柄で意地が悪そうな側室の子供だよね。いやまあ実際側室の子供なんだけど。
ろくなことをしない万年風来坊の三男とカネに汚そうないじわるキツネ顔の次女。終わった後2人で酒飲みながらずっと笑ってたわ。あまりにも自分たちがかわいそうで。
しかしなんであんなに似るかな。正室の子だとああなるのかね?御屋形様生き写しだよありゃ。家臣はみんなあっちについて行くよ。だってオレたち根本的に似てねーもん。まったく外様すぎて泣けてくるぜ。
酷く精神的に疲れている。カネが欲しいわけでもなかったし、別に今更兄が欲しかったわけでもなかった。正直な話、遺骨だってオレにはこだわりがあったわけじゃない。
ただ認めて欲しかったんだと思う。存在理由なんてちゃちなもんじゃなく、自分という生まれを。個人を。
そして血を。
日本帰ってきたで
給料体系の見直しなどをしつつ、円安のおかげで日本円に換算すると従業員の年棒がエラいことになり、どう役員共を宥めようかと頭が痛い午前中。
似たような話を思い出した。オレが幼稚園の頃は信じがたい事に病弱で休みがちであった。母の日のプレゼントにみんなでお母さんの似顔絵を描いてプレゼントしましょうという迷惑千万なイベントがあり、寝込んでいてほとんど登園していなかったオレには当然準備ができるはずもなく当日を迎えたのであった。みなが思い思いに描いた絵を持ち帰るなかオレは手ぶらである。見かねた先生がオレの為に見たこともないであろうオレの母親の似顔絵を描いて持たせてくれた。ありがとう先生、今ならそう言える。
だがそれがイヤでね。ガキにはガキのプライドがある。いくら先生が描いてくれたとはいえどの面下げて母親に渡せるというのだ。だから帰ってすぐ家のゴミ箱に捨てた。バカだから居間のゴミ箱に。
「どうしたのこれ?」
「………」
「母の日のプレゼント?」
「違う」
もうこの時点で母は泣いていた。オレが描いた物ではないくらい、見ればすぐ分かる。プレゼントが捨てられていたという事実、オレの気持ち、先生の気持ち、そして母親の気持ち。誰も悪くない。自分の息子が2週間ぶりに幼稚園に行った日がたまたま「母の日」だったというだけ。
オレは自分がなにか悪い事をしたような、酷く後ろめたい気持ちになり、俯いて歯を食いしばるのが精一杯だった。
そしてその日の夕食は少しだけ豪華だったような気がする。
9年目
地元茨城に次いでまさかの滞在期間第二位が台北。え〜オレの人生どうなってんの?とフガフガと鼻毛を抜いていたところ、夏くらいに本帰国になりそうだ。
ついに、と言うか、やっと、と言うか。
しかもその理由が仕掛けられた時限爆弾が炸裂でオレ達の努力は一体なんだったのかという徒労感でいっぱい。まあでも楽しい8年だった。よく仕事したしよく遊んだ。少々不要な歳を重ねた気もするけれど、結局ヒト独りが持てる量は決まっていてその両の手のひらの上に乗る分だけらしい。だったら今持っているものを慈しもう。色んな物が指の間からすり抜けて落ちて行ったけど(特に髪の毛)、それはもう過去だ。
そんな風に自分を励ますが、環境が変わるのはやっぱしんどい。がんばろう。あんまりがんばりたくないけど、しょうがない。人生は諦念が大事。とにかく期待しない事と腕を切ったら血が出る事だけを覚えておけば大丈夫。うん、まだ生きている。